6.中道と諸行無常

今回も過去に調べたことや、最近、追加で調べたことを
書いていく。

前回、ウロボロスについて書いた。
今回は近いというか、何かウロボロスや
東洋思想に関係してそうに感じた
仏法の教えについて、書いていこうと思う。
あくまで、自分なりの解釈だ。

一つは中道。
これは、釈迦が説いたもので、
内容としては、2頭のウロボロスの絵や
陰陽太極図に近いと感じた。
自分的には現代の言葉で言うとシナジーに近いものの
ようにも感じた。

内容としては
中道とは、極端な苦行でもなく、極端な快楽でもない
調和の中にある、幸福を重んじるという内容っぽい。
なぜ、そのような悟りにたどり着いたかのだろうか。

元々、裕福な家庭に生まれた釈迦はカピラ城で贅沢な生活に
ふける日々を過ごしていたらしい。
この快楽の日々に虚しさを感じ、真理を求めて修行に出た。
その修行は、身体を壊しかねない過酷なものだったという。
ただ、修行の中にも真理を見出すことができないと悟り
調和のとれた中道を見出したとのことだ。

釈迦が得た重要な気付きはとは
“何事も過ぎたるは及ばざるが如し”という考え方だった。
この考えに至った一つの背景が”農夫の歌”だ。
“弦を張りすぎても、緩すぎても、良い音は生まれない”
という意味の言葉が含まれていたという。
確かに、自分はギターをやっているので
これは痛いほどわかる。チューニングって大事。(笑
良い音というのがシナジーか?

で、そこから、深い瞑想に入り、人間の葛藤などを克服して
悟りに至るとのことだった。簡単に書きすぎてすまない。

もう一つは諸行無常。
これも釈迦の教えの一つ。
諸行無常とは、全ての物事は常に変化し、
不変ではないということ。
喜びも悲しみも、痛みや苦しみ、癒し、
人の命も、全て不変でないこと。
不変というものに執着しない生き方にこそ
真の幸せがあり、全てのものには始まりと終わりがある
ことを言っているように感じた。

これは
すべては循環していて、永続性を持っていることを表している
陰陽太極図やウロボロスに対して、始まりと終わりを表した
対照的なもののように思えたが、諸行無常の終わりとは
“区切り”であって、循環からスケールを落とした
ものの見方なのかなと、感じた。

これらを見て感じたことは、
いきなり飛んで悪いが、人の死について
考えさせられた。

下の図を書いてみた。

これは人の内在的な活動を
細分化できてるかわからないが、細分化
してみた図になる。

心臓の鼓動や呼吸、覚醒と睡眠
これらすべてが繰り返している。
これらもそれぞれスケールを持っている。
これらは人の中でちゃんと循環して続いている。
これは、人も同じじゃないだろか。
自然や宇宙規模から見て
人も循環しているということになる。
だとすると死は終わりではなくて
一つの”区切り”であると思った。(単純な考え方で
申し訳ない)

あと、上記の図で書いている
何故、ふつうは生の反対は死だから
反転して”死”じゃなくて”来世”と思ったか。
あくまで自分の考えだから参考にすらならないが
書いてみる。
前回のウロボロスの画像を見ると
人を中心に左と右に伸びてるように見える。
左は人の内側に通ずるスケール
右は人の外側に通ずるスケール
という感じに見えた。

前回のウロボロスの画像:

自分が書いた図の”死”から左は、全て生物の中で完結する
反復運動だ。
ただ、ひとたび、人から外に出ると、
人はこの世界への入力要素に過ぎないと思ってる。
例えば、モノに力を加えると、摩擦などの
反発作用が生まれる。
他に、人にいいことをするとお礼となって帰ってくる。
あと、モノを蹴ると足が痛い…。
他にもあるかと思うけど、あまり思い浮かばない。(笑

このように、人(生物)というスケールを超えた
瞬間に、人は反復運動の片方にしか過ぎないと考えた。
だとすると、人が亡くなって、人というスケールが
消えたときどうなるか…と思って
考えた結果、上記の図のように来世になった。
ここは、頭の中を整理や詳細に
調べたいので、まとまったら書いてみようと思ってる。
そもそも、あってるかがわからない。(笑
ただ上記は、あくまで自分の考えなので、あしからず。

続く…

参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%A1%8C%E7%84%A1%E5%B8%B8
https://note.com/satoshin2/n/n47bd9b2f587a
https://inoxsakurako.hatenablog.jp/entry/2014/11/12/211831

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